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2025年10月13日、大阪万博が幕を閉じた。4月13日から184日間の開催で来場者数は2500万人を突破したが、目標であった2820万人には届かなかった。55年前の1970年の大阪万博は6422万人だったので、前回の40%弱の来場者数になったということか。当時と比べると様々な展示会が産業ごとに世界中で行われているので、人々の間での万博のプレゼンスは小さくなっているのは間違いない。

ちなみに過去の万博の来場者数最多記録は2010年の上海万博の7306万人、これは来場しやすい国内の人口を考えるとさもありなんである。70年大阪万博は歴代2位ではあるが、当時人口1億人を超えたばかりの島国での開催ということを考えると驚くべき数字である。

政治の分野では今月2025年10月21日、高市早苗氏が女性として憲政史上初の内閣総理大臣に選出された。総理大臣と言えば、阪神淡路大震災時に首相を務めていた村山富市氏が今月10月17日に101歳で死去したというニュースもあった。

実にいろいろなことがあった2025年10月。ちょうど個人的にも過去の消費税導入や税率アップと並行して所得税、法人税、相続税などが減税されてきたいわゆる「直間比率の見直し」経緯を一度調べてみたいと思っていたので、前回の大阪万博から今回の大阪万博までに就任した各総理大臣の施策に絡めてまとめてみた。

高度成長期〜安定成長期

※以下政治家の敬称略

前回の大阪万博のときの総理大臣は佐藤栄作である。この人は今アメリカのトランプ大統領が見苦しいほどに欲しがっているノーベル平和賞の受賞者だ。当時から今日までの55年の間、この人物を含め日本のリーダーである総理大臣は27名が就任した。高度経済成長期に7年以上の政権を担当した佐藤栄作は沖縄返還、日韓国交など外交成果の評価が高い。「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を提唱したのも佐藤首相でこの辺りの活動がノーベル賞に評価された。一方で核保有する三隣国に日本が囲まれている今、これが足枷となっているのも否めない。

次の田中角栄は「日本列島改造論」を唱えて公共投資拡大し全国にインフラ整備を進め、地方振興を図った。中国との国交正常化や第一次オイルショック時にいち早くアラブ諸国との関係改善を図り危機を切る抜けるという大きな外交的成果もあげたが、政治資金のスキャンダルによって失脚した。

高度経済成長から安定成長時代への過渡期には三木武夫、福田赳夫、大平正芳、そして大平在任中の急死によって緊急登板した鈴木善幸らがいたが、地味に政治改革、物価対策、財政再建などをおこなったというイメージだ。

中曽根康弘は5年にわたるそこそこの長期政権の中で規制緩和、構造改革に取り組んだ。 特に非効率だった国営で三公社(国鉄、電電公社、専売公社)を民営化して市場原理の中で再生を図ったのは中曽根の大きな功績と言えるだろう。またアメリカのレーガン大統領との親密な関係の中で自衛隊の地位認識や防衛費増額など外交を強化するとともに安全保障の再定義をおこなった。一方でこの時期にはアメリカとの貿易摩擦の激化、円高の急進などが発生した。消費税(間接税)を導入する一方で、所得税・法人税・相続税といった直接税を減税して税収の安定化や経済成長に配慮した負担構造の見直しを図る「直間比率の見直し」の議論はこの頃に始まった。

バブル期から自民党下野

当時1ドル240円程度だった日本円が急激に上昇してわずか1年で150円に達したきっかけとなったプラザ合意に大蔵大臣として参加した竹下登が総理大臣としてバブル経済の真っ只中で推し進めた最も有名な政策は税制改革。3%の消費税は竹下総理の時代に導入された。同時に当時の所得税の最高税率を70%から50%へ大幅に引き下げて、法人税率は42%→40%に減税、相続税の最高税率も75%から70%に引き下げた。牛肉・オレンジの米国からの輸入が自由化されたのもこの時期で、他には「地方創生」というスローガンのもと各地方自治体に1億円ずつ配ったなんてこともあり、最後はリクルート事件で総辞職した。

リクルート事件はリクルート関連会社の未公開株を賄賂として有力者に広く配った汚職事件で、政権与党の自民党の主要な政治家が多く関わっていて処分を受けていたため、その後は比較的クリーンだが党内ではさほど有力ではない宇野宗佑、海部俊樹が歴任する。宇野は参院選で自民党初の過半数割れの敗北を受けてわずか2ヶ月で辞職、海部はバブル末期から崩壊時期にかけて2年程度総理を務めた。

軽量級首相のあと、久しぶりの重鎮として政権をとった宮澤喜一はバブル崩壊後の対応や不良債権対策に苦しみ、ついには小沢一郎や羽田孜など自民党の身内が内閣不信任案の賛成に回り可決。それにともない実施された衆院解散総選挙で過半数割れに陥った自民党は32年ぶりに下野して野党となった。その後小沢・羽田グループは自民党を離党して新生党を立ち上げた他、同じく自民党を離党した議員のグループが新党さきがけを作った。

多政党連立政権

自民党は依然として比較第一党であったが、それ以外の社会・新生・公明・日本新民社・さきがけ・社民連・民改連の各党が連立して過半数を確保、日本新党党首細川護熙が総理大臣に就任した。このときに自民党が長年なし得なかった小選挙区制導入や政党助成金制度の創設などの政治改革を実現している。しかし7党が集う連立政権内の意見調整は難しく、細川が独断で国民福祉税の導入(同時に消費税廃止)しようとしてすぐに撤回させられるなど混乱を極め退陣した。消費に対し7%の課税する国民福祉税は事実上当時3%だった消費税を4%増税しようとするものだった。結局その増税案は廃止されたが、この時期に所得税累進構造は5段階へ簡素化され、法人税本則税率は37.5%となっている。

そのあとを受けて総理になった羽田孜は社会党の連立離脱によりわずか2ヶ月で退陣。連立政権を離脱した社会党は自民党、さきがけと連立(自社さ政権)を組んで、社会党の党首村山富市が総理に就任。かつての55年体制の中で自民党と社会党という対極のイデオロギーを持って戦ってきた二大政党の大連立で、村山は「自衛隊合憲、日米安保堅持」というこれまでの社会党の主義に反する所信表明演説を行う一方で「日本が植民地支配と侵略によって多くの国々に多大な損害と苦痛を与えたことを反省し、心からお詫びする」という村山談話を残した。

1995年のこの時期は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などが発生し、参議院選挙で社会党は大敗、1996年1月に村山は突然の退陣を表明し、自社さ連立政権のまま自民党総裁の橋本龍太郎が総理大臣に就任した。橋本は後に普天間飛行場の返還と辺野古移設を決めて人気が高まっている中の解散総選挙で勝利を収め、3年ぶりに自民党による単独内閣を組閣。、その後社民党(社会党から改称)、さきがけとの連立も解消したものの消費税増税や赤字国債の削減など緊縮財政を採ったことが原因で景気悪化を招き、経済成長率も一時マイナスに陥るなどその後長期に渡って続いたデフレの原因を作った。橋本政権のときに3%から5%への消費税増税の傍ら、法人税率37.5%から34.5%に減税、相続税最高税率70%から55%へと引下げられた。

参院選の惨敗のあと退陣した橋本に代わり総理になった小渕恵三は衆参ねじれ状態の前途多難な船出だったが自由党との連立、ついで公明党との連立を実現し安定多数を確保し、長年の懸案であった重要法案を次々と成立させた。このときに始まった自公の連立はこの時から26年続き、今月2025年10月10日に解消されている。橋本政権とは逆に赤字国債を発行して公共事業を中心とした景気対策をおこない、折良くITバブルも発生して経済は好調だったが、労働派遣法の改正で非正規雇用・ワーキングプアの増加も招いた。小渕は自由党の連立離脱騒動野の中脳梗塞に倒れ、その後死去。当時幹事長だった森喜朗が後任として総理に就任するものの、支持率一桁を記録するなど不人気で短命に終わる。

自公連立政権(小泉〜麻生)

小泉純一郎は国民からの高い支持率を得て、5年以上の長期政権の中で規制緩和、構造改革、教育・労働分野改革に取り組んだ。特に小泉が政権の本丸的政策と位置づけていた郵政民営化では自民党議員の一部が反対に回り本会議で一旦否決された。しかし小泉は解散総選挙を実施、反対した議員には公認を与えず、その選挙区に自らの息のかかった候補を「刺客」として送り込んで法案を可決させてしまうという、いわゆる「郵政選挙」を実行。他には米国のアフガニスタンやイラクへの派兵を自衛隊が後方支援する法案を成立させたり、北朝鮮へ電撃訪問して拉致被害者の一部を連れ帰ったりした。小泉政権時代に所得税最高税率は一旦50%→40%、法人税実効税率30%台前半へ引き下げられ、相続税課税対象の縮小も実行された。

小泉の総裁任期満了後に52歳の安倍晋三が総理大臣に就任するも参議院選挙で敗北し、約一年で病気のため辞任。その後福田康夫、麻生太郎は衆参ねじれ国会の中政権運営に苦しみ、第一時安倍政権も含めてそれぞれ一年ずつの短命政権に終わった。

民主党政権

2009年の衆議院総選挙で民主党が308議席を獲得する大勝で政権を奪取、代表の鳩山由紀夫が総理大臣に就任。鳩山由紀夫は「友愛」理念の下、子ども手当や高校無償化を実施するなどしたが、普天間基地移設問題で内政と外交に混乱を招き辞任、菅直人は財政再建と消費税議論を提起、任期中に発生した東日本大震災と福島原発事故への対応で支持を失い辞任、野田佳彦は衆議院任期中は消費増税をしないとしていた民主党の公約を破り「社会保障と税の一体改革」として民主・自民・公明の三党合意を形成して消費税増税を決断した。野田政権時代に所得税最高税率(国税部分)は再び45%へ引上げられた。民主党は公約違反に反発した議員の離党者が相次ぎ、解散総選挙では惨敗、民主党政権は3人の総理を出したが合計でも衆議院の任期の4年に満たなかった。

自公連立政権(第二次安倍〜石破)

再び政権与党となった自民党は総裁であった安倍晋三が総理に返り咲き、経済再生と外交安全保障の強化を柱とした。経済面では「アベノミクス」と称する三本の矢(大胆な金融緩和、機動的財政出動、成長戦略)を推進し、円安・株高を実現、雇用改善や企業収益拡大をもたらしたが、格差拡大や実質賃金の伸び悩みも指摘された。外交では日米同盟を基軸に、中国・ロシア・東南アジアとの関係を重視し、積極的平和主義を掲げた。消費税は安倍政権の間に5%から8%(2014年)、8%から10%(2019年)へと二度引き上げられた。法人税実効税率は2014年に35%から30%台前半にその後29.74%程度に引き下げられている。安倍の7年8ヶ月に及ぶ総理在職は憲政史上最長である。

安倍辞任に伴う自民党総裁選で争った菅義偉、岸田文雄、石破茂がその後相次いで総理大臣として政権を担当することになった。菅は行政のデジタル化や携帯電話料金引下げや不妊治療の保険適用などの生活密着型政策に功績があったが、コロナ対応に苦しみ政権発足から1年で退陣。岸田は「新しい資本主義」を掲げ、成長と分配の両立を重視。外交面ではG7議長国として国際協調を主導し、ウクライナ支援やインド太平洋地域での連携強化に尽力、安全保障では防衛費をGDP比2%へ引き上げる方針を決定し、反撃能力保有を明記する安保3文書を改定。

コロナパンデミック後の回復時期で経済は好調だったものの、物価高騰の問題も生まれた。石破は「地方創生2.0と国民生活の再構築」を掲げ、東京一極集中の是正と地方経済の再生を最重要課題に据えて取り組んでいたが、衆院解散総選挙、都議会議員選挙、参議院選挙と連続で大敗と喫し、自公連立政権は衆参両議院で過半数割れとなり、今月2025年10月に内閣総辞職、1年の短命政権となった。

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