僕が通っていたのは房総半島中ほどの片田舎にある創立10年目の高校で当時の卒業生の進路は進学半分、地元の企業に就職半分ぐらいの割合の平均的な学校だった。特に勉強が好きでもなかったので学習面ではそれほど努力もせず、ただ流れにまかせて行ける学校にそのまま入って日々を過ごしていたのだ。

ガチガチの進学校でもなく、ヤンキーだらけで荒れているということもなく、簡単に言えばユルい高校生活を送っていたのだが、いよいよ3年生になり進路を決めなければならなくなった。特に「これをやりたい!」と強く思ったものはなかったが身体を動かすことが好きだったので、消防士になろうと隣市の採用試験を受けた。だが結果は補欠合格。結局欠員はなく消防署に就職することができなかった。

ときに高3の10月。そのままだとニート(当時はまだその呼び方はなかったが)になってしまうので進路が決まらないまま、なし崩し的に大学受験の勉強を開始した。偏差値はかなり低く、とても合格はできないと考えていたので現役での受験は完全に見送って卒業前から浪人生活を決め込んだ。

予備校にも通わず自宅に篭り、人生ではじめて取り組んだ勉強はなぜかそれほど嫌ではなく、模試の成績が上がるとともに逆に面白くなってきて毎日10時間ほど机に向かって没頭した。その甲斐もあってか一浪で日本では上の下ぐらいのレベルの有名大学に入学することができた。

高校の同級生で1年の浪人生活を経て同じ大学に合格したのが他に2人いたが、いずれも高校時代は常に試験でトップ10に入って成績優秀者として名前が貼り出されていた奴らだった。一度も勉強面で目立ったことのない僕がなぜそこにいるのか、と彼らの訝しげな顔を今でも思い出すことができる。最近流行ったビリギャルほどではないが、似たような経験をしたものである。おかげで旧帝大や早慶などという一流大学ではないにせよ、これまでの人生でさほど学歴コンプレックスみたいなものを感じたことはない。

ただ、むしろ最近ではより良い大学に入ることを理想的ゴールとする日本の教育慣習に対する疑問が年を追うごとに自分の中で大きくなっている。日本の大学はさながら就職予備校の様相を呈している。ブランドの高い大学の卒業生ほど優良企業、人気の高い企業に広い門戸が開かれているのは衆目の一致するところだろう。

私もある程度その恩恵には浴して、有名で財務状況の良い優良会社と呼べる企業で勤務していたこともある。そんな関係もあって仕事やプライベートを通じて、世間一般でエリートと呼ばれる人とも多く付き合ってきた。だから自分の経験として言えることでもあるのだが、難関大学を卒業しているかどうかとビジネスや投資の世界で目覚ましい成績を挙げて成功する如何はまったく関係がない。

一流大学を出て一流企業に所属していても仕事で役に立たない人は多い。むしろ学生時代を通じて社会的に高い評価を受けてきたせいかプライドだけは高く、自分がお金を稼ぐ活動の面で劣っていることを直視できないため、余計にイタい存在であることも珍しくない。

一方で実に上手にビジネスを運営して利益を生み出し、それを拡大化して、さらに別の事業を立ち上げて高い確率でそれを成功に導く、ときに扱っている商品やサービスの流行り廃りや法制の変更など環境の変化により、自分の事業のうちのどれかが潰れることもあるが残ったビジネスから収入の流れは絶えることがない、そうこうしているうちにまた新しいビジネスの柱を作り上げて、減った分の穴を埋め、さらに拡大してゆく、私の周りには何人かそういう人間がいるが、彼らの学歴は中学卒から一流大学卒まで実に様々である。

もっと言えば、数十億円からときにはそのひとつ上の桁の資産を築いている人もいるが、そんな飛び抜けた成功者はむしろ大学に行っていない人の方が多いのではないか、という感覚さえ抱くことがある。良い大学へ行くことが優良会社に入って、より高い給料をもらい、安定した生活を手に入れるという程度のことが目的であれば、そういう類の人たちはそもそも大学など通う必要がないのであるが。。

いずれにしても事業や投資を非常に上手に進めてゆける能力を持った人は少なくとも学歴とは関係なく平均的に存在している。多くの人が人生の目標しているお金を稼ぎ豊かになる能力と世間一般で高く評価されている学校教科の出来不出来とは無関係であるという認識は新たにしておいた方が良い。

就職予備校と課した大学。大学受験のためには国語、数学、英語、理科、社会(日本史、世界史等々)など、学校教育科目の知識を大量に習得しなければならないが、その中の多くがその後使うことのないものだ。僕が社会に出てから仕事で使用した数学や英語はほぼ中学卒業程度の知識でこと足りるだったし、化学記号や物理の公式、鎌倉幕府が1192年に始まったことなどは受験以来一度も使ったことはない。

高校、大学のみならず、小中学校あるいは「お受験」と呼ばれる幼稚園の受験も一般化した現在では、放課後学習塾に通うことは珍しくない。学習塾にかかる学費は大体年間30〜40万円から高いところでは100万円程度かかるところもある。通う年数も短くて3年程度、長い場合には10年近く通う子もいる。学校が終わってから学習塾に通い、さらに宿題もこなさなければならない。少しでもブランド力の強い大学へ行くために費やすエネルギーや費用はかなりの規模になる。

学びの時代の最後の大学進学。国公立や私立の別、進む学部によっても違うがだいたい4年間で250万円から500万円の学費がかかる。それだけの手間と費用をかけて、あまり使わない知識を詰め込んで多くの人は少しでも少しでも良い待遇を求めて優良企業への就職を目指す。僕にはここに膨大な無駄があるように思えて仕方がない。

お金に困らない豊かな生活を送ることが目的なら、最初からお金の稼ぎ方(ビジネス)やお金の殖やし方(投資)を学んだ方が良いのではないだろうか?将来科学の分野に進んで開発などをする子供もいるので化学記号の記憶が決して役に立たないものだと言うつもりはない。しかし人生の中で学ぶ優先順位は実はそんなに高くない。それよりはビジネスの仕組みややり方をしっかり学んで身に付けた方が良い。科学者や技術者になる人よりお金を稼いで生活をする必要のある人の方が圧倒的に多いのだから。

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