約1年前の記事になるが中国版LINEの微信(WeChat)公式アカウント「房屋屋」の不動産市場分析記事で上海の不動産価格は過去10年で6倍になったという記述があった。過去10年とのことだから2007年〜2017年の間だろう。上海のそこそこ中心部に近い物件であれば平米単価は55,000〜60,000元(約88〜96万円※)ぐらいだ。※2018年10月時点のレート

2000年前後の上海不動産

僕が上海の不動産価格を意識し始めたのは2000年頃だが、その頃は平米辺り4,000元台だったから当時から10数倍になっているのは間違いない。100m2以上の部屋は標準的な広さなので普通に億ションがごろごろしている状態だが18年前には同じような物件が600〜700万円だったのである。今から考えるとずいぶん安いとはいえ物件を買うにはある程度頭金が必要なのでやはり勤続10年ぐらい経って、多少なりとも手元資金があって、家庭を持つために家でも買おうと考えていた1960年代生まれ人たちがこの時期のメインの買い手だった。この世代の人々は純粋な実需の購入により自然に不動産暴騰の波に乗れたラッキーな世代と言えるかもしれない。

物件価格が上がり始めると嗅覚の鋭い人たちが「投資」として参入することになるがそのカテゴリーの人たちもある程度資金の動かせる条件の整ったミドルエイジ以上の人たちだったはずだ。当時上海では大卒の初任給が1,500〜2,000元程度だったので20代前半の一般庶民の給与所得者(1970年後半〜1980頃生まれ)にとってはまだ手が出ず、そうこうしている内にみるみる物件価格は高くなってゆき、自分たちが30代になり結婚でもして家を買うときには数倍に高騰した高い買い物をしなければならなかったということが考えられる。(もちろんその後も高騰は続いたのでそれでも恩恵の一部は享受できているはずだが)

生まれた時期の不運を克服した女ども

世代別でこうした運不運が生じるのは世の中の常である。

日本でも1940年代までに生まれた人はバブルが始まる前のまだ安かった不動産を手に入れることができたが1950年代生まれの人はバブルの高値掴みをしてしまった人が多い。。

現在年金受給を受けている人たちは平均寿命まで生きれば自分が支払ったよりも多くの金額が受け取れるとされるが50歳以下の世代は年金では損をする確率が高い。。

特攻隊で戦死したり、シベリア抑留された兄たちより20歳年下である9人兄弟の末っ子の僕の父親は「金の卵」と呼ばれた高度経済成長の申し子である、等々。

世代の違いはときにすごく残酷なのだ。

話を中国に戻すと、不動産価格の高騰は中国人の世代の運不運を分けてしまった。だからと言って不運側の世代にいた皆がそれに甘んじていたかと言えばそうとは限らないという話をしたい。

90年代の後半から上海駐在員をしていた当時、会社を訪れる人の接待は僕の仕事の一部だった。結構利益の出ている会社だったので本社の幹部が出張と称した旅行に来ることも多く、週1、2回はレストラン、ナイトクラブの案内をするという生活だった。すると自然にキャバ嬢、ホステスなど業界の女性の知り合いが増えてゆく。当時の20代前半の彼女たちの収入はだいたい10,000元ぐらいだったので新卒の同級生の5〜6倍の収入を得ていたことになるだろうか。世界のどこであれ、この職業は若くして高額所得者になれる。というわけで同年代の5倍の速度でタネ銭を作った彼女たちの一部は10歳年上の幸運世代と同じタイミングで高騰し始めの不動産に投資をすることができた。なりふり構わずというほどでもないだろうが、少し外側の世界に飛び込んで世代の不運を克服したと言えるだろう。

中には馴染みの客の愛人となり女性の名義でマンションをパトロンに買ってもらうということもあった。500万円ぐらいの部屋であれば優良企業の幹部を務める駐在員や出張者でも手が届く。それで2、3年現地妻みたいなことをして、最後は手切れ金代わりに2人で過ごしていた部屋をもらうのである。当時の知り合いには一般企業に勤めているOLもいて、そういう女性たちは往々にして水商売の女性たちを軽侮しているところがあった。これもどこにでも見られる光景だろう。”まあ、そうだろうな”という感じである。

猛者たちの今

さて、そんな夜の花たちの活躍期間は短い。時間が経てば更に若い子たちに勝てなくなるので、数年で足を洗って普通の会社に就職したりする。夜の仕事中に日本語の会話を覚えたりするので結構良い戦力になるのだ。数年が経ち、オフィス業務が板についた頃相手を見つけて結婚する。昔の仕事やパトロンのことなど旦那に話す必要もあるまい。今や40歳前後になった彼女たちは小中学生の子供のいる一見普通のおばさんだ。昔のような化粧っ気もない。

でも本物の普通のおばさんとの違いは日本円で億を超える資産を持っているということ。日本や欧米、アジアの不動産についての情報をSNSに投稿すると時々そんな懐かしい彼女たちから問い合わせが入ったりする。自分を庶民の生活から引っ張り出してくれた不動産は今でも大好きなのだろう。今、若い女の子たちが同じようにできるかと言えば難しいだろう。確かに同世代の高額所得者にはなれるだろうが短期間で億ションを買えるようにはなれない。またそんな家をポンと贈ってくれるようなパパはもはやごくごく少数の超富裕層。簡単には出会えまい。

そう考えると1980年前後に上海で生まれた人の中で水商売で手っ取り早く稼いでそれを不動産に投じた彼女たちは千載一遇の機会を掴んで自分の人生を一変させた。賛否両論はあるだろうが、僕は図らずもその判断力と行動力に感銘を受けてしまうのだ。「私はああいう娘たちを軽蔑している」と言っていたあの時の真面目なOLの言葉を虚しく感じるほどに。。

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